今日はアクアリウムは一休み、長岡大花火のお話しです。
今年も長岡大花火大会が8月2日(火)・3日(水)と開催されます。
子供の頃から毎年8月2日と3日の長岡花火大会は、夏休みの恒例行事として楽しみにしていました。市中心部から10km以上離れていますが、我が家も一応長岡市です・・・
いつの頃からでしょうか大花火大会と言われ、日本三大花火の一つに数えられています。
確かに、2日間で打ち上げられる数が約2万発、一夜で約1万発を2時間で打ち上げるのですから、その迫力は圧巻の一言。
河川敷左岸幅2km以上にわたって次から次へと打ち上げられる様を、見た事が無いという方には是非体験していただきたいと思います。
中でも有名なのが、正三尺玉(しょうさんじゃくだま)直径650m程も開く大きな大きな花火です、加えて開いた時の音がもの凄く体の真までズシンと来ます。
一発に込めた花火師さんや関係者の苦労と緊張が解き放たれる瞬間ですね。
他にも12年前の中越地震復興を掲げたフェニックスこれは幅2kmにわたって、約5分間音楽とシンクロして打ち上がります。
花火この空の花・天地人花火など、ここ数年さらにスケールアップした花火が登場してきました。
近年は交通事情も良く成り、全国からアクセスしやすく成ったおかげで、昨年2015年は2日間で104万人の来場者が有ったそうです。
長岡市の人口が27万人なので、2日間で長岡市人口の4倍近くの人が訪れる計算になります。
今年は花火大会の2日間とも平日開催となるので、少しは落ち着くのかもしれませんが、やはり多くの方が訪れると思います。
長岡まつりについて詳しくはこちらの 長岡まつり公式HP でどうぞ。
ここからは、長岡まつりとは?
こちらも公式HPに紹介されていますが、太平洋戦争終結2週間前の昭和20年8月1日の22:30から1時間40分にもわたって、B29による空爆で1,486名もの尊い命が失われました。いわゆる長岡大空襲で市街地が一面焼け野原と化したそうです。
当時の時代背景がそうだったのかもしれませんが、戦場ではない市街地に爆弾を投下する事の意味が有ったのでしょうか?亡くなられた方のほとんが一般人だったはずだし、攻撃する側もそれと解っていたはず。
8月1日の長岡大空襲から1年後の21年8月1日に「長岡復興祭」開催されました、これが長岡まつりの前身です。
翌年昭和22年には花火の打ち上げが復活、更に昭和23年からは、8月1日「戦災殉難者の慰霊」の日とし、2・3日を「花火大会の日」と改めたそうです。 ※長岡花火については明治12年から始まり、大正13年には既に正三尺玉は打ち上げられていました。
8月1日は、市内を流れる柿川で慰霊の灯篭流しや、22:30に慰霊の花火「白菊」3発の打ち上げ行われます。
そのような訳で、長岡まつり・大花火大会は先の戦争による戦没者慰霊の為のものです、戦後70年となり平和を取り戻し日常生活からは戦争の陰も薄れていますが、悲しい過去の出来事からの復興や祈りが、華やかなお祭りの中に有る事も忘れてはいけないと思います。